振り返ればすでに兆しはあったのかもしれない。兆しと呼ぶにはあまりに微かな遠雷のごとき鳴動をおそらく本人も感知してはいなかっただろう。予感にさえまだならないまま、acid androidはその道行きの舵を緩やかに切ろうとしていたのだと今にして思う。深奥に芽吹いた“次”への希求。彼の紡いだ音だけがそれを知っていた。
1月14日、yukihiro邸。acid androidの2012年はBUCK-TICKで幕開けた。正しくはBUCK-TICKのトリビュートアルバム第2弾となる『PARADE II-RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK』に収録される音源制作だ。昨年、2011年は結成20周年を迎えたL'Arc~en~Cielが本格的に活動を再開したこともあり、acid androidとしては8月に単独ライヴを1本開催するのみに留まっていたが、今回のトリビュート参加への打診を受け、11月あたりからずっと折りを見ては作業を続けてきたという。その最終段階、ミックスダウンが今日、行なわれるのだ。
「yukihiroさん、シンセ系は何か変わりますか」
「いや、変わらないけど増えます」
「音色が、ってことですね」
「そうそう」
地階の自宅スタジオにいち早くスタンバイしていたyukihiroのもとに正午過ぎ、エンジニアの井上陽氏がやってきた。顔を合わせるなり挨拶もそこそこに早速、本題に入る。2010年の3rdアルバム『13:day:dream』をほぼ二人三脚状態で作り上げたふたりならではの呼吸感で今日の作業に必要な準備を手際よく進めていく様が目に心地よい。
「あ、金物は外しちゃっていいですか」
「うん、お願いします」
スタジオ内のレコーディングブースに組まれているドラムセットからシンバル類を外し始める井上氏、それをyukihiroが手ずからケースに収めていく。どうやらミックスダウンに取りかかる前に追加のコーラス録りをするらしく、ケースを倉庫にしまうと代わりに譜面台を持ち出してブース内に立て始めるyukihiro。シンバルを外したのは振動で鳴ってしまうのを防ぐためなのだろう。
そこまで環境を整えたところで、まずはyukihiroが新たに追加したというシンセサイザーを取り込む作業にかかることに。Macの画面上に展開されたデータには“bt-sexual”とファイル名が付けられている。今回のトリビュートのためにyukihiroが選んだのは「SEXUAL×××××! 」、少々意外な気がしなくもない。しかし、なぜこの曲をと問えば「好きだから」と簡潔な答えがすぐに返ってくる。曰く、「自分がバンドをやろうってなったときにカッコいいなと思ったのは「ICONOCLASM」だけど、それより前からBUCK-TICKのことはカッコいいと思ってたからね。だったら最初の曲だな、と」。「SEXUAL×××××! 」は言わずもがな、BUCK-TICKの実質メジャーデビュー作とも言うべきアルバムの表題曲であり、シーンに鮮烈な衝撃をもたらした一曲でもある。yukihiroにとってのBUCK-TICKはこの曲、このアルバムから始まり、今なお彼らへのリスペクトが褪せない。だからこの選曲なのだろう。だが、選曲以上に驚かされたのはアレンジだった。
幾層にも渡って緻密に積み上げられたシーケンストラック、中でも流麗なピアノの音色が際立って印象に残る。マイナー調に仕上げられた繊細かつ内省的な音像は歌の主旋律がなければ、まずオリジナルは浮かばない。ギターはもちろん、バンドサウンドを一切排除した打ち込みオンリーの潔さ。ある意味、とてもyukihiroらしいアプローチに目をみはる一方で、あえてこの曲をこうしたアレンジでカバーするということに単なる“yukihiroらしさ”では括れない茫漠とした何かがあるようにも思えた。“何か”が何かはわからない。